牧師紹介
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29年間の商社マンの生活からキリスト教の牧師へ。
当教会の鍋谷憲一牧師のプロフィールです。
当教会の鍋谷憲一牧師のプロフィールです。
鍋谷憲一(なべたに けんいち)牧師
1947年(昭和22年)5月20日、福井県福井市に生まれる。小学校低学年の頃は、近所の女の子にも泣かされる弱虫であった。父親はそれを見て小学4年生(宝永小学校)から剣道を習わせた。お陰で多少は活発な子供となり、中学生時代(進明中学校)は剣道部、放送部、応援団などに所属した。この頃、読書が大好きになったが、親の目を盗んで今東光の「春泥尼抄」などを隠れて読んで興奮した記憶が懐かしい。高校時代(藤島高校)のクラブ活動は剣道一本。一応2段獲得。交換日記をしたりして初恋も経験した。大学は運良く京都大学法学部に合格、最初の3ヶ月間は「将来は弁護士を目指す」と意気込んでいたが、直ぐに挫折した。世の中は第二次安保紛争で学生運動が盛んなため、殆どの授業は休講状態。これ幸いと、徹底して社会勉強にいそしみ、親から離れた下宿生活を満喫していた。「彼奴だけはストレートに卒業出来ない」と友人達から断言されていたが、これも「落第させて学生運動の勢力を増やしても大学側が困る」という配慮からか、超低空飛行で卒業させていただき、1970年に三井物産(株)に入社。入社試験の面接で「大学時代は大いに遊ばせていただいたので、会社に入ったら一番忙しい部署で頑張りたい」などと格好良いことを言ったため、鉄鋼輸出部というタコ部屋的部署に配属された。月間残業時間180時間という記録も経験した。どうせ仕事の忙しさのために独身生活を謳歌することが出来ないならと、僅か2年後の1972年に同じ課の女性と社内結婚した。これが現在の愛妻順子。貿易畑に居た為、都合3回の海外駐在を経験した。最初がサウジアラビアのリヤドで3年、2回目がインドのボンベイ(現在はムンバイ)で3年、3回目がインドネシアのジャカルタで5年、合計11年になる。いずれもイスラム教、ヒンズー教というキリスト教とは無縁の宗教色の強い国であったが、3回目のジャカルタ駐在時に妻順子が日本人教会に通い始め、そこで受洗したことをキッカケにしてキリスト教会に出入りするようになった。1994年秋に帰国し、自宅の近所にある根津教会で1995年春に受洗した。然し、根津教会を40年に亘って牧会していた中村彊牧師夫妻が、1999年になって突然引退表明をした。小さな教会なので次の牧師を呼ぼうにも教会員が少なく財政的に困難であった。当時は、バブル崩壊後の景気低迷の為、三井物産も年配者に早期定年退職を推し進めていたが、その条件に依れば何とか自分自身は食べて行けるという計算から、三井物産を退社し、根津教会の為に残りの人生を捧げることを決心した。退職、東京神学大学3年編入、根津教会の会堂管理人就任(会堂内に住み込み開始)、東神大卒業、日本基督教団補教師試験合格、伝道師として主任担任教師就任、2003年の秋に正教師試験合格、暮れに按手礼、・・・を経て現在に至っている。良く「社会人経験が長く、世の中の酸いも甘いも噛み分けているから立派な牧師になれるでしょう」と励まされるが、その度に「酸いも甘いも知ってはいますが、少しも噛み分けてはいないですよ」と答えている。
1947年(昭和22年)5月20日、福井県福井市に生まれる。小学校低学年の頃は、近所の女の子にも泣かされる弱虫であった。父親はそれを見て小学4年生(宝永小学校)から剣道を習わせた。お陰で多少は活発な子供となり、中学生時代(進明中学校)は剣道部、放送部、応援団などに所属した。この頃、読書が大好きになったが、親の目を盗んで今東光の「春泥尼抄」などを隠れて読んで興奮した記憶が懐かしい。高校時代(藤島高校)のクラブ活動は剣道一本。一応2段獲得。交換日記をしたりして初恋も経験した。大学は運良く京都大学法学部に合格、最初の3ヶ月間は「将来は弁護士を目指す」と意気込んでいたが、直ぐに挫折した。世の中は第二次安保紛争で学生運動が盛んなため、殆どの授業は休講状態。これ幸いと、徹底して社会勉強にいそしみ、親から離れた下宿生活を満喫していた。「彼奴だけはストレートに卒業出来ない」と友人達から断言されていたが、これも「落第させて学生運動の勢力を増やしても大学側が困る」という配慮からか、超低空飛行で卒業させていただき、1970年に三井物産(株)に入社。入社試験の面接で「大学時代は大いに遊ばせていただいたので、会社に入ったら一番忙しい部署で頑張りたい」などと格好良いことを言ったため、鉄鋼輸出部というタコ部屋的部署に配属された。月間残業時間180時間という記録も経験した。どうせ仕事の忙しさのために独身生活を謳歌することが出来ないならと、僅か2年後の1972年に同じ課の女性と社内結婚した。これが現在の愛妻順子。貿易畑に居た為、都合3回の海外駐在を経験した。最初がサウジアラビアのリヤドで3年、2回目がインドのボンベイ(現在はムンバイ)で3年、3回目がインドネシアのジャカルタで5年、合計11年になる。いずれもイスラム教、ヒンズー教というキリスト教とは無縁の宗教色の強い国であったが、3回目のジャカルタ駐在時に妻順子が日本人教会に通い始め、そこで受洗したことをキッカケにしてキリスト教会に出入りするようになった。1994年秋に帰国し、自宅の近所にある根津教会で1995年春に受洗した。然し、根津教会を40年に亘って牧会していた中村彊牧師夫妻が、1999年になって突然引退表明をした。小さな教会なので次の牧師を呼ぼうにも教会員が少なく財政的に困難であった。当時は、バブル崩壊後の景気低迷の為、三井物産も年配者に早期定年退職を推し進めていたが、その条件に依れば何とか自分自身は食べて行けるという計算から、三井物産を退社し、根津教会の為に残りの人生を捧げることを決心した。退職、東京神学大学3年編入、根津教会の会堂管理人就任(会堂内に住み込み開始)、東神大卒業、日本基督教団補教師試験合格、伝道師として主任担任教師就任、2003年の秋に正教師試験合格、暮れに按手礼、・・・を経て現在に至っている。良く「社会人経験が長く、世の中の酸いも甘いも噛み分けているから立派な牧師になれるでしょう」と励まされるが、その度に「酸いも甘いも知ってはいますが、少しも噛み分けてはいないですよ」と答えている。
- [2006/05/20 00:12]
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